気にせず書きまくるブログ

40代独身。人生に行き詰った男が、いろんなことを気にせずにとにかく思ったことを書きまくります。アクセスを集めるには?とか、読みやすいブログにするには?とかいろいろ考えながら書いてみた時期もありましたが、すぐに続かなくなりました。なのでそういうことを考えず、とりあえず書きたいことを書いてみるとどうなるかな・・・という実験です。

キーボードを変えてみた

キーボードを変えてみた。

トラックボール付きの右手と左手のキーが離れているやつ。

 

今のところ、めっちゃ使いにくい。

バックスペースとエンターの位置がいままでより、ちょっと遠い。

無意識で押せない。

毎回引っかかる。

二つのキーは利用頻度が高いので、そのたびに思考が停止し、小さいイライラが積み重なっていく。

ただ、買うときにキーの位置が遠いのはわかっていたので、そのうち慣れると思うしかない。

そう思って使い続けるしかない。

一番のメリットは、トラックボールが真ん中についていることだ。

マウスを持ちに右腕をずらさなくてもよいので、その分作業効率が上がるともくろんでいる。

まあこの辺は慣れてきたときにどうか確認したいと思う。

 

 

 

いちねんとよんかげつぶり

前回書いたのが2019年の11月。

 

ということは、一年と4か月経っている。

 

今回は長かったなー。

 

でも結局なんか書きたくなるんだよな。

 

さて・・と。

 

はい、なにも心にない。

 

というのが問題ですな。

 

と書こうとしてふと思った。

 

あれ、つらいことや、憎しみみたいなものもないぞ・・・と。

 

これは、進歩しているといって・・・よいのか?

 

ということは、やる気に溢れて、やるべきことが見つかって、書きたいことが見つかって・・・という方に進んでいる途中なのか?

 

ちょうど変わり目のゼロ。

 

これからプラスになってくぜ!

 

のゼロなのか?

 

と考えるとちょっとうれしいかなー。

 

しかし、悟った感じの、落ちついた無ではなくて、

 

なんにもする気がない、無気力の無・・・なんだよな。

 

今書いていることも、何もないただの心の垂れ流し。

 

うん。どうしたもんだかね。

 

ちょっとしたアイディアというか、霞ていどに書きたいかな・・・

 

と思っていることはあるんだけどね。

 

さて・・・どうしたもんか。

 

最後までかけるかな・・・

 

しかも、中途半端な知識で書いてよいのかなーとか。

 

ざっくり大きな骨格はできてるんだよな。

 

パソコンなどのトラブルシューティングの考え方。

 

個別の対策ではなくて、大きな考え方。

 

WindowsだろうがMACだろうがAndroidoだろうが通用する、トラブルシューティング論。

 

自分と同じ仕事をしている人が無意識にやっていること。

 

それを再現性をもって、体系的に書く。

 

ターゲット?

 

さて、同じ仕事をしてる人に「だよねー」って言ってほしいのか?

 

苦手な人にわかるようになってほしいのか?

 

やりたいことは前者で、求められているのは後者で、できることは・・・真ん中な気がする。

 

わかってる人ほどの知識はないし、本当にわからない人には「苦手なことに時間を費やしてほしくない」だし。

 

あっ、そっか、自分より少し苦手なひと向けに書けばよいのかな?

 

多分、書くしかないんだろうな。

 

かかずにいると、「ここでひっかかるとか」「事例が上手く見つかるか」とか。

 

できない理由さがしちゃうからな。

 

 

うーん、でもなあ、ゆるぎなき書きたさみたいなのもないんだよな。

 

あっ、これもできない理由探しか。

 

ふぅ、明日は早番だからそろそろ寝るかー

 

さて、次書くのはいつかな。

最近特に思う。

 

まだまだ、自分はできるって思ってるって。

 

自分は優秀だって。

 

承認欲求。

 

そう思っているにもかかわらず、現状は違う。

 

だから、なにもしない。

 

やる気もでない。

 

「どうせやってもだめだから」

 

まだまだ、評価を外に置いている。

 

そんなの気にせず、自分がやりたいことを

 

ただできるように

 

風と生きるように

 

自分を認めるように

 

なりたい。

 

思ったよりも、闇は深いなーと思いつつ、

 

でもね、この前

 

久々に、自分から誘えたんだ。

 

もう夜中の2時半だ

 

さあ、寝るんだ

うだうだしてるより失敗した方が本当は得なのに

うだうだしてるのは時間の無駄。

 

どうせ何もしないなら、何かして失敗しても生み出す価値が0なのは一緒。

 

であれば何かが起きる確率が発生するだけ、何かした方が得。

 

失うものは何もない、はず。

 

変な自尊心なんか持っているとそれを失うのが怖くて何もできない・・・となる。

 

「嫌われる勇気」ってやつですな。

 

何もしてないっていっても、実際はひたすらアニメ見ていたり、ドラゴンクエストウォークしていたりはするわけですが。

 

さて、心の糧にはなっているのだろうか。

 

その時間を価値あるものにするには何かをアウトプットしなければいけないだろうなーと思う。

 

例えばドラゴンクエストウォーク。

 

リセマラをやる人も多いと思うけど、攻略サイトには最初に単発で引けるだけ引く(11回くらい)と書いてあったところが多い。

 

ただ、自分は他のやり方をした。

 

リセマラとは呼べなくなってしまうかもしれないけど、クエストを少し進めて、福引券で10連と、ジェムで10連回せるまで進めてから回した。

 

実は10連で引くと確定で良いアイテムがもらえるんじゃないかと思い込んでいたこと。(ガチャでは良くある話、ドラクエウォークは違うっぽいけど)

 

あとは、ジェムスタンプを地道にためれば星5が確定でもらえるのに、単発で回してしまうのは将来の星5入手のチャンスを失うことになるから。

 

あとは時間、1回やり直すのに時間はかかるけど、一回に引く量も増えるから、トータルの時間は驚くほど変わらないと思う。

 

最初の頃は図鑑のジェムとかもガンガンもらえるし。

 

みたいなことを書いていくとちょっとは価値が出るのかな。

 

あとは、僧侶に魔法使い用の武器を付けると、序盤でも攻撃呪文撃ってくれてモンスターを倒す効率が良いとか。

 

どうせオートでちょっと弱めの敵を倒すんだから、回復が追い付かなくなることなんてないし、殲滅速度上げたほうが効率があがるから。

 

一匹しかいないのにバギとか超非効率だしね。

 

 

さてと、では転職後のレベル上げでもしてきますか。

自分を認めるんだ

一ヶ月くらいすると書きたくなるのかなぁ

 

開け放した窓から見える、風になびく布団。

 

ディスプレイチェックのような淡い濃淡のグレーの空。

 

ドア越しに聞こえる、新しい生活を探している声、隣の空き部屋。

 

朝起きて、「今日は浅草寺に行こう」と思ったけど

 

なんかだらだらしてしまい、今この文章を書いている。

 

そういえば、頼まれてた事をやんなきゃいけないんだよなーとか

 

アマゾンで買ったスキャナー開けてないなーとか。

 

古本溜まったから処分しないとなーとか。

 

とか、とか。

 

さて、今日は違う方に思考が行く。

 

こういうふうにうだうだしてないで、ちょっと希望をもって書いてみようと。

 

綺麗な部屋、差し込む光、自由に伸びるからだ。

 

すっきりした頭、やる気のあるココロ。

 

日々、進んでいくプロジェクト。

 

アクセス解析の数字は増え続け、仕事は週3日に減らす。

 

思い立った日に旅行に行けて、その場で宿を決める。

 

それに向けて動くことは自由。

 

結果はわからないけれど

 

目指すことは自由。

 

結果なんてしょせん運だ。

 

やってみなけりゃ損だ。

 

心のブレーキ、外すんだ。

 

できない自分、認めんだ。

 

 

生きる希望ってどこからくるのだろう

なんかもう、だめだなーって思う。

 

夜中の0時、この時間からコンビニ行って

カップ麺買って、酎ハイ買って、そしてサッカーの試合を見ている。

 

マジョルカに移籍した、久保建英

彼が出ないとわかってもだらだらと見続けている。

 

思えば、今日一日、こんな感じだ。

 

食べて、ゲームして、酒飲んで、動画見て。

 

積みあがっていかない。

 

うすうす感づいてはいる。

自分で何かを成し遂げることでしか

この閉塞感を解決できないこと。

 

でも、心が動かない。

ついつい、楽な方に動く。

 

何かをやろうかなと思った瞬間

呪いのようにブレーキがかかる。

 

そして楽な方に行く。

 

もう何年も、その繰り返し。

そうしている間に、どんどん年を取っていく。

 

未来の可能性はどんどん狭まっていく。

と、思ってしまっている。

 

人生リセットさせてくれよって

思ってる自分がいる。

 

もしくは、終われせてくれよって。

 

でもまあ、自分から死ぬほどあきらめきれていないのと

死ぬ勇気がないので、ずるずる続けていく。

 

良くなる希望がないわけではないけど。

 

まあ、こうして、文章かけているわけだし。

 

ということでまあ、明日も仕事に行きますよ。

 

なんとか日々、生きてまいります。

 

 

反日の韓国が、いかに自分に余裕がないかを教えてくれた

まったくもう、酷いことになっている、隣国勧告。

 

もう、いい加減にしろと怒鳴りたくなります。

 

徴用工に対する国際法を無視した判決。自衛隊機へのレーダー照射に天皇への謝罪要求。

 

そんな行動をしておきながら、日本が少し「信用できない」といって輸出管理を厳格にしたとたん、「盗人猛々しい」「何が起きても日本の責任だ」と開き直る始末。

 

いやいや、今回の問題は絶対てめぇらが悪いんだからなー

 

と、連日韓日関係の記事を読みながら心の中で悪態をつく日々。

 

 

いや、だが、ちょっとまて、本来、こんなに政治に興味をもっていただろうか?

 

面倒くさい人と一緒で、ただ放っておけばよいだけではないか。

 

なのにだ、毎日毎日「韓国が悪い」という記事を探しては喜んで読んでいる自分がいる。

 

これは、あれだ、炎上させている、弱いものをたたいているやつらと変わらないじゃないか。

 

なんで、そんなことをするのだろう。

 

他にすることがないからだ。

 

毎日が楽しいことで埋まっていれば、他人の喧嘩にわざわざ首を突っ込む暇などない。

 

「あー馬鹿なことやってんなー」と笑っていればいいだけだ。

 

だけど、「あいつら許すまじ」みたいな怒りが自分の中にある。

 

他にぶつける場所がない不満を、絶対悪い、みんなが賛成してくれる、韓国批判にぶつけているだけだ。

 

とふと思った。

 

自分が満たされないものを、他の獲物にぶつける。

 

いじめっ子と同じ理屈だ。

 

でも、それでも韓国は許せない(正確には文政権)

 

うーん、もっと修業が必要ですな・・・