気にせず書きまくるブログ

40代独身。人生に行き詰った男が、いろんなことを気にせずにとにかく思ったことを書きまくります。アクセスを集めるには?とか、読みやすいブログにするには?とかいろいろ考えながら書いてみた時期もありましたが、すぐに続かなくなりました。なのでそういうことを考えず、とりあえず書きたいことを書いてみるとどうなるかな・・・という実験です。

変える勇気、変えない勇気

浦和レッズオリベイラ監督が首になった。

原因はリーグ戦4連敗で11位という成績の低迷である。

 

ニュースを見たときは

「えっこんなんで変えるの?」

ってびっくりした。

 

一番大きな理由は、ACLでまだ敗退が決まっていないこと。
一番大きなタイトルが残っている段階で予選を突破している監督を変えるとか、ちょっと考えられない。

 

あとは4連敗ということですが、

そのうちの1敗はあの「世紀の大誤審」のベルマーレ戦です。

あの試合は正直あの誤審から流れが大きく変わってしまいました。

あの一試合はノーカウントにしてあげて欲しいなと思います。

 

ついでにいうなら、その次の広島戦も4-0で負けてしまったわけですが

誤審の騒動がまだまだ影響していたのではないかなぁと思います。

 

正直、神戸のようにチームが崩壊しているような感じはなかったですし。

 

あと、一番大きな違和感を感じた理由は

「大幅な補強したのに結果がでない」

 

うわぁ、前節やっと勝ちましたが、強い選手さえとればいいと思って

9連敗したどっかのチームと思考が一緒じゃないですかぁぁぁ。

 

サッカーの場合、大幅に選手を補強した場合

個人の能力は上がっても、チームとしての能力は下がる可能性の方が高いです。

チームの方向と選手の特徴がフィットしていた場合、いきなり活躍することもありますが、選手の能力が本当に発揮されるのに時間がかかるのが普通です。

 

浦和の場合は杉本健勇ですね。セレッソで活躍して、代表にも選ばれ

大きな期待を背負っての移籍でしたが、今シーズン開幕戦、

ものの見事にレッズのシステムに合わず、前半で交代。

初戦を落とすことになりました。

kinisezukakimakuru.hatenablog.com

 

特に浦和レッズの場合、もともと優秀な選手が多いので

例え日本代表の選手を取ったとしても、その慣れのマイナスを覆すほど

既存の選手より個人能力が高いことはそうそうないはずです。

 

であれば、もう少し様子を見てもよいのではないかなぁと思います。

 

個人的には、変えるタイミングはACLで負けたときでよいんじゃないかなぁと思っていました。

 

さて、ではなぜ浦和の偉い人達はこのタイミングで変えたのか。

それは「判断することが気持ちいいから」

 

 

現代は脳に負荷をかけすぎていると思う。もっと身体感覚を大切にしよう - 気にせず書きまくるブログ

でもちょっと書きましたが、現状維持か、何か新しい手を打つか迷ったとき

新しい手を打ってしまった方が、「自分は何かをした」気がして後悔が少なくなるからです。

いわゆる、「やらずに後悔するより、やって後悔する方が良い」ですね。

確かにその面はあると思います。

 

でも、サッカー業界はちょっとそのタイミングが早すぎる気がします。

どうしてか?

時とタイミングによっては「やらないこと」の方が怖いからです。

 

目の前に開けてない扉があるとします。

 

開けたいじゃないですか(笑。

 

そして、扉の向こうが不確定な時

人は極めて楽観的な予測を立てます。

 

そして、少し悪い結果が出るかもしれないときでも

「何もしなかったと言われることが怖い」

「きっと良い結果になるはずだ」

といった思いが強くなることが多いのではないのでしょうか。

 

「迷い」と「決断」というテーマですが

この手の話をすると、どうしても成功体験をしたひとが

「あの時、やり方を変えて良かった」

「革新的な方法」

みたいなのを得意げにしゃべるのが目立ちますが、

その陰には

「変えて失敗した」←某9連敗したチーム

「変えないでその後持ち直した」←話題として出てこない。

という事例もあるはずです。

 

ただ、「変えないでその後持ち直した」っていうときに

その変えなかった決断ってあまり認められることがないんですよね。

 

もっと「あえて変えない決断」というのが

評価されてもよいと思います。

 

 

良い記事を読むと今まで気にならなかったことをちょっと気にするようになる。

今週のお題「アイドルをつづる」

 

アイドル、なんか恥ずかしくてそのネタを書こうとは思っていなかったんだけども、

先週書いた、特別お題の迷いと決断を読んでくれた人が結構いたので、調子にのって今週のお題、「元気をくれるアイドル!」も書いてみる。

 

といっても普段特に応援しているアイドルはいない。

もちろんかわいい子たちを見るのは好きなので、たまにモモクロなんかをyoutubeで見たりはする。

なんか、ただただ見てるだけで幸せだよね。

 

それとは別に、最近ちょっと気になってる話題がある。

NGTの騒動だ。

まだまだ騒動が収まりそうになく、そんな状況なのに運営はお決まりのマニュアル対応しかできず、一向にファンの怒りが収まる気配がない。

 

AKBに勢いがあったときは、トラブルを逆手に取るぐらいの対応を見せてくれたものだけども。

指原は、あのトラブルがなければあそこまで上には行けなかったんじゃないかなーとも思う。

さんざん言われていることだけれど、AKB商法も終わりが近づいているのかなーと思ったりもする。

 

さて、何が言いたいのかというと、正直AKBは売るのを目的に運営されていて、

そういった部分がもう飽きられてきているんじゃないかということ。

そして、そこへの反動として大所帯ではないけれど、メンバー全員がきちんとメンバー全員のことをわかっているような、小さな、でも強い輝きを持ったアイドルが光を浴びるんじゃないかなっていうこと。

 

news.yahoo.co.jp

 

今回、このお題で書いてみようと思えたのは

ちょっと前にこの記事を読んでいたから。

 

まずは写真がすごく綺麗。鮮やかで華やかで、でも黒バックのおかげで締まっている部分もあって、正直やられたって感じ。

写真だけでも十分作品になる。

 

そして、記事の内容。

いままでのでんぱ組.incの歴史がコンパクトにまとめられていて

初めての人に丁度良い長さになっている。

 

そして、一番自分的にありがたかったのは

youtubeで曲が埋め込まれていたこと。

記事の中で話題になった曲がすぐに聞ける、見れるというのは

理解しやすくてすごい良かった。

 

 

 その中でもこの曲がすごい良かった。

 詳しくは実際に見てもらうとして

それぞれのメンバーの黒歴史をさらしていて

だからこそ、楽しそうに歌う彼女たちの輝きが余計際立って見える。

 

シナジーというのだろうか。

間違いなく、計算で作れない何かが宿っている。

そういう情熱の塊に触れた時、人は感動する。

 

ということで、改めて見返してみてもやっぱり元気な気持ちになった。

今、元気をくれるアイドルはでんぱ組.incである。

迷ったときはやらない「慎重さ」を持つ自分の決断基準

迷ったときはやらないことにしている。

 

それが自分に合っているからだ。

 

ストレングスファインダーというテストがある。

アメリカのギャラップ社というところが行っている

自分の強みを教えてくれるものだ。

CliftonStrengths | Gallup

 

人の思考のパターンを34種類に分類し、

自分がどういった資質を持っているかを出してくれる。

 

自分はその中でも「慎重さ」という資質を持っている。

 

「慎重さ」とはその名の通り、何をやるにも準備周到、情報を集めてから実行する。

そのため、失敗しないで実行できる。

物事を上手く運べる資質だ。

 

ただし、その分動き出すのに時間がかかる。

または時間内に「やれない」

 

はっきり言って、流行りじゃない。

 

今の時代、とにかく早く。

試行錯誤をたくさん。

環境の変化が速すぎて、何が上手くいくかわからないから

迷ったらとにかくやってみる、そして修正。

それがトレンド。

そんな時代だから、自分と同じ「慎重さ」を持っている人たちは

「慎重だからやれないんだよね・・・」

と自分にネガティブ評価をしてしまう人が多かった。

 

 

自分もそうだった。

世の中では「とにかくやってみろ」であふれている。

だから、そうしないといけないと思ってしまっていた。

 

しばらく前まで、無理してそうしようとしていた。

 

心の底では「ちょっとな」とか思っていても

とにかくやってみる。

 

上手くいくこともある。

でも「やっぱり」ということも多かった。

上手くいったものも、続けていくうちに

「違うな」というものに代わっていった。

 

 

だから、思い切ってやめてみた。

ちょっとでも迷ったものはやらないことにした。

 

 

「慎重さ」だから「やれない」

ではなく

「慎重さ」だから「やらない」

に変わった。

 

 

途端に心が楽になった。

 

 

 

やりたくないものはやらなくていい。

自分の「慎重さ」という長所を信じる。

 

つまりは自分を信じる。

 

その決断ができるようになって

人生、楽しくなり始めている。

 

これからの自分のテーマは

「やらない」という決断だ。

 

 

世界に一つだけの花は眺める方の資質を試す

  

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花

 

 

世界に一つだけの花」を聞いている。

 

同じ花なんてない。みんな違う花なんだ。

比べなくていい 自分が咲くことに一生懸命になればいい。

 

いい歌だとは思いつつ、ずっと違和感を感じ続けている。

 

この歌は、個性的であれと求められ、でも周りのみんなとは違う何かを見つけられずに

もがいている人たちへの救済だ。

 

「もともとみんな違うんだから、そのままでいいんだよ」

 

そう優しく語り掛ける。

 

聞くと救われる。

 

自分もそういう一人だ。

 

でも

 

救われつつも、残酷な現実に直面させられる。

 

「じゃあ自分は、それぞれの花を世界に一つのものとして見られているか」

 

と。

 

道行く道で咲いている花に

 

一つ一つ、想いを馳せられるか

 

「あーきれいだな」

 

と、ひとまとめの景色としてしまっていないか。

 

世界に一つだけの花になるためには

 

そう認識してくれる人が必要だ。

 

槇原敬之さんはきっと

 

そういう風に人を見れる人だ。

 

さて、自分はどうだろう。

 

他の人をそういう風に見れるだろうか。

 

いや、そもそも自分を

 

そんな風に見れているだろうか

 

この歌を聞くたびに、そんな思いが頭をよぎる。

 

世界に一つだけの花には

 

そう眺められる人が必要なのだ

引き分けで出来過ぎの松本戦。 2019年J1 コンサドーレ

松本山雅戦、勝ちに等しい引き分けだと思う。

 

反町監督は悔しかったと思う。

ペトロヴィッチ監督はほっとしていると思う。

 

自分は完全に負けると思っていた。

 

チャナティップアンデルソンロペスが怪我で出られず。

元から出られない、駒井とジェイを加えると4人も主力が出られない。

 

しかも単なるレギュラーではなく、

全員が違いを作り出せる実力の持ち主。

 

おまけに相手はハイプレスが得意の松本。

 

ベルマーレ平塚戦の二の前になることは避けられないように思った。

 

実際に、前半は松本のプレスに引っかかりまくり、

いつ失点してもおかしくない状態だった。

 

だが、幸運にも失点せずに済んだ。

 

だけど後半、状況はひっくり返った。

 

まずは松本。

ベルマーレは前半は体力を残し、後半に勝負をかけてきたけど

松本は前半から勝負をしかけてきた。

そして、本来なら失点してもおかしくない場面でミスをしてくれた。

ゴール前でのクォリティが低かった。

まあ、ク・ソンユンが3点ぐらい防いでたけど(笑。

 

そしてコンサドーレ

後半、あきらかに修正されていた。

松本のプレスがちょっと落ちたのもあるけど、

完全に流れをひっくり返してた。

 

うん、びっくりした。

 

強くなったなぁとしみじみ思った。

 

前節の神戸戦、今回の松本戦。

こういう戦い方ができるうちは

とりあえず降格は気にしなくてよさそう・・・と思えた。

 

それと同時に、層の薄さも露呈した。

 

後半の最後の5分、交代で入った選手が

まだまだJ1のレベルではないんだなというのが痛感した。

 

簡単なパスをミスしてボールロスト。

自分のタイミングでしかけたいのか

せっかく相手が崩れているときに止まってしまって

相手の体制が整ってから仕掛けるドリブル。

自陣内での思い込みによるボールロスト。

 

正直、交代選手はもっと早く出せばいいのにと思っていた。

しかも、包帯を巻いている武蔵や深井を下げてあげればいいのにと。

 

でも違った。

 

武蔵や深井は下げたくてもさげれないんだとわかった。

 

それぐらい、3人変わってからの最後の5分はひどかった。

 

負けなくて、良かった。

 

真夜中の失踪に聡明と音楽

 

真夜中の失踪に聡明と音楽

真夜中の失踪に聡明と音楽

 

 amazon musicで今聞いている。

なんかタイトルに惹かれて。

新しいもの聞きたくて。

 

失踪ではなく疾走感のある歌だ。

 

タイトルとジャケットと、たまたま目に入ったものを聞いてみたら情熱に溢れた歌だった。

 

録音してるとき楽しかっただろうな・・・とか

初めて自分のCDが店に並んで感動したんだろうな・・・とか

 

なんか映画を見て主人公に感情移入してる感じ。

 

そして、「自分もこんなタイトル考えてみたいなー」

と思って考えてみた。

 

このタイトルの何に惹かれたか?

それはひとえに「聡明」の異質さである。

 

「真夜中の失踪」うん普通だ。だいたい夜逃げや失踪は夜中にこっそりと決まっている。

 

「音楽」も別に普通だ。身近にあるものだし、

失踪みたいなドラマチックなシーンに音楽があるのも納得できる。

 

そこにきての「聡明」である。

 

この言葉だけが脳の奥をたたくのだ。

「おい、なんかここにあるぞ」

と。

 

「聡明」ならお決まりのように真夜中に失踪する事態になんてならないと思うし、音楽ときたら情熱だけで売れないバンドマンと相場が決まっている。

 

クラシックをやっている人なら「聡明」と「音楽」の間にこのような異質さは感じないのだろうか?

クラシックで飯が食えているレベルの人と話せる機会があればぜひ聞いてみたいと思う。

 

要は想像外に異質な言葉がくれば、「はっ」としてそこに魅力を感じるのだ。

ただし、意味がまったく通じなくはない程度に。

 

たとえばこのタイトルが

「真夜中の失踪に愚かな音楽」

だと途端にダサくなってしまう。

 

「真夜中の失踪に賢い音楽」

「聡明」と似た意味だが、なにか普通に流してしまう。

するっと読み流せてしまうのだ。

「聡明」が絶妙な異質さなのだ。

 

ここに「聡明」という言葉を選べることが、彼らの個性であり才能なのだ。

 

そんな才能と同じことができると思ってしまった

自分の傲慢さに今文章を書いていて気付いた。

 

ただ、せっかく考えたのでそのまま恥をさらしてしまおうと思う。

「気にせず書きまくるブログ」だし。

 

 

と、今まさに書こうとしたところで

肝心な言葉を忘れてしまった。

 

メモっておけよ自分。

 

「〇〇と真昼のレクイエム」

 

ってところまでは覚えているんだが

 

「明日の希望に真昼のレクイエム」

・・・なんとなく近い気がする。

他に思い出せなければこれにしよう。

 

・・・

 

「悲しみの向こうに真昼のレクイエム」

 

・・・

 

うん、無理だ。

 

残念。

 

降りてきたと・・・思ったんだけどな・・・。

 

 

 

 

 

最近思いついたメモ。長期的な視点で個人的にブレイクすると思われるものとか。

歴史は繰り返す。

 

時代にあったものがヒットする。

 

思えば今のヒット商品も、同じコンセプトを持ちながら、早すぎるがゆえに消えていった者たちが多数ありました。

 

例えばスマホ

PDAというタッチペン付きの端末がかつてありましたが、独自規格だったり、動作が重かったりで、いつのまにか消えていました。

 

例えばAI。

パソコンが登場した時期に、「どらえもんが現実に」などともてはやされましたが、

実際には全然使えない、単純な分岐判断をしたりといったものでした。

 

例えばVR

バーチャルボーイに始まり、3Dを経て、VRになってやっと日の目を見ている気がします。

 

もう一つ上げるなら、3Dプリンター。

登場初期は夢の機械と思われましたが、精度だったり価格だったり、いつのまにか注目されていませんでしたが、最近はとても注目されている気がしています。

金属が作れるようになり、ネジなどの部品が作れるようになったり、

巨大なプリンターで家が建ってしまったり、あらゆるものがオーダーメイドされる日がくるかもしれません。

 

 

ということで、一旦は先進的過ぎて日の目が見なかったものが

技術の進歩により、大ブレイクする。

そんな視点から考える、次にブレイクするもの。

 

※完全に個人的な妄想です。

 

グー〇ルグラス的なAR端末。

 

登場当初は、スマホの次として非常に期待されていましたが、いつのまにか消えていた眼鏡型のウェアラブル端末。

はっきり覚えていないのですが、録画機能を付けたさいにプライバシーが問題になったり、といったところが結構問題になっていたと思います。

では、そこをどう解決するか。

5G+youtubeだと思います。

 

まずはyoutubeの技術。
アップされた映像や音楽を解析し著作物か判断し、アップ者と著作権者双方を仲介して、双方に利益をもたらす。

この技術と5Gによる高速通信が加われば、リアルタイムで著作物かどうかを判別し、モザイクをかける、録画を中止する、などの対策がとれるようになります。

 

スマホの次はウェアラブルと呼ばれていますが、本質的には「カメラ(スマホ)を構える手間」の消滅が次のブレイクスルーになるのではないでしょうか。

 

この景色は素晴らしいと思った瞬間、撮影ができている。

そして、それを著作権とか気にすることなくその場でシェアできる。

 

最近のカメラは色々な機能がついて綺麗な写真がとれますが、

それは一眼レフ+職人でできていたことができるようになったことで、

改善であり、ブレイクスルーではありません。

 

ということで、次の大ブレイクはグー〇ルグラスではないかなーと勝手に思っています。

 

さて、著作物かどうかをリアルタイムで判別できるようになると何がおきるか。

ここから先は、とある小説で書かれていたネタを書きたいと思います。

まあ、現在はSFレベルで実現はしそうにないお話ではありますが。

その小説とは

 

ハロー・ワールド

ハロー・ワールド

 

 この小説の中で、主人公は独自の仮想通貨を作ります。

 

そして、その通貨には自動で課税されるスマートコントラクト(自動処理プログラム)が仕組まれます。

 

つまり、その通貨を使って経済活動をすると、その量に応じて自動的に課税分が受け取る主体(小説では主に国家)に支払われるように設定されています。

そして、受け取る国家はその通貨を認め、受け取り手続きをするとその国家分の税金を受け取れるようになります。

その国家が受け取り手続きをしない場合、その国家が受け取るべき税金はプールされ続けるようになります。

 

さて、これを先ほどのウェアラブルでリアルタイムに著作権処理と組み合わせると次のようになります。

 

ウェアラブルで録画された映像でリアルタイムに著作物が処理され、その著作物に関する著作権料が自動的に個別にプールされます。

そして、自分の著作物をその管理主体に登録すると、プールされていた著作権料を受け取ることができる。

 

具体的な例としては、例えば自分の顔を登録しておくと、街で撮影された動画に偶然自分が映り込んでしまった場合でも、その動画で収入が発生した場合、その収入の一定比率を自分が受け取れるようになるというもの。

もちろん、人の顔以外でも、キャラクターや看板、建物などでも同様のです。

 

そして、その処理はブロックチェーン技術を使い、スマートコントラクトで自動的に処理される。

 

そうするとどうなるか?

 

何も考えずに好きなことをしているだけで生きられる人が出てくる。

 

現在、youtuberやブロガーなど、一見好きなことをして自由に生きている人は、映像を撮影、編集したり、記事を書いたりといったことを大量に素早くこなせる、または苦にしない人たちです。(もしくはそれをしてくれる人が周りにいる)

 

現在、youtuberやブロガーの人たちはある程度そういったことに労力をかけられる人たちが収入を得られる仕組みになっていますが、その敷居がどんどん下がることで、

そういった手間が嫌いなひとや労力を割けない人も収入を得る可能性がでてきます。

 

つまりは、もっともっと生き方そのものが生活の糧になる。

 

そんな時代が来るのではないかと。

人類、総芸能人化。

 

ちょっと、そんな夢物語を思ってしまったりしました。