愛されないから愛せないのか愛さないから愛せないのか
卵が先か鶏が先か。
でも今の自分の考えはこうだ。
「愛されないから愛せない」
と、ここまで書いて、手が止まる。
次に書こうとしていることを、本当に書いてしまっていいか悩んでいるのだ。
でも、書こう。
ここまで書いたということは、書きたいということなのだろう。
親に愛されたという実感がない。
抱きしめてもらった記憶がない。
虐待されたとか、貧乏だったとか、そんなことはないけれど、
ただ一緒に暮らしていただけ。
親に対してそんな風に思ってしまっている。
目の前に一枚の写真がある。
砂浜の上で小さな男の子が二人、笑い合いながら寝そべっている。
向かって絵右側の子は体の右側を下にして、右手を伸びをするように伸ばし、その上に頭を載せている。伸ばした手は砂に覆われている。
左側の男の子は両手の平を砂につけ、左手の上にほほを載せるように寝転んでいる。
少し上目遣いでもう一人の男の子を見つめている。
日差しは強く、砂は白く輝いている。
右側の男の子は汗をかいているのだろう、強い日差しで汗が光って見える。
幸せそうな写真だ。
二人のこころは今、暖かいのだろう。
照らされている太陽のように。
上手く心を開くことができない。
つねに身構えている。
素の自分をさらけだせない。
ブロックがかかる。「嫌われたくない」そんな単純な一言ではすまされない恐怖がそこにはある。
そう、恐怖だ。
悪いことへの恐怖だ。
まじめに生きてきたと思う。
ただ、優等生ではない。
勉強はそこそこできた。スポーツもクラスで上位にいた。
野球部のキャプテンもやっていた。
でも、ひととの交流というか、そういった面ではさんざんだった。
学級委員も、キャプテンも、やりたくてやってはいなかった。
求められるものをこなし続けてきた人生。
そして、上手くやって褒められてもすなおに喜べない人生。
完璧主義者?
そうかもしれない。
ただし、現在は完璧にできないものから逃げ続けている。
そして、自己嫌悪。
もう自分は生きている価値がないと思ってしまう。
今は、必死でその選択を選ばないように言い聞かせている。
もしかして
自分が思っているより、やばい・・・のか?
でも、こういったことを久々に考えた気がする。
さて、寝るか