気にせず書きまくるブログ

40代独身。人生に行き詰った男が、いろんなことを気にせずにとにかく思ったことを書きまくります。アクセスを集めるには?とか、読みやすいブログにするには?とかいろいろ考えながら書いてみた時期もありましたが、すぐに続かなくなりました。なのでそういうことを考えず、とりあえず書きたいことを書いてみるとどうなるかな・・・という実験です。

愛されないから愛せないのか愛さないから愛せないのか

卵が先か鶏が先か。

 

でも今の自分の考えはこうだ。

 

「愛されないから愛せない」

 

と、ここまで書いて、手が止まる。

 

次に書こうとしていることを、本当に書いてしまっていいか悩んでいるのだ。

 

でも、書こう。

 

ここまで書いたということは、書きたいということなのだろう。

 

親に愛されたという実感がない。

 

抱きしめてもらった記憶がない。

 

虐待されたとか、貧乏だったとか、そんなことはないけれど、

ただ一緒に暮らしていただけ。

 

親に対してそんな風に思ってしまっている。

 

 

目の前に一枚の写真がある。

 

砂浜の上で小さな男の子が二人、笑い合いながら寝そべっている。

 

向かって絵右側の子は体の右側を下にして、右手を伸びをするように伸ばし、その上に頭を載せている。伸ばした手は砂に覆われている。

 

左側の男の子は両手の平を砂につけ、左手の上にほほを載せるように寝転んでいる。

少し上目遣いでもう一人の男の子を見つめている。

 

日差しは強く、砂は白く輝いている。

右側の男の子は汗をかいているのだろう、強い日差しで汗が光って見える。

 

幸せそうな写真だ。

 

二人のこころは今、暖かいのだろう。

照らされている太陽のように。

 

 

 

上手く心を開くことができない。

つねに身構えている。

 

素の自分をさらけだせない。

 

ブロックがかかる。「嫌われたくない」そんな単純な一言ではすまされない恐怖がそこにはある。

 

そう、恐怖だ。

 

悪いことへの恐怖だ。

 

まじめに生きてきたと思う。

 

ただ、優等生ではない。

 

勉強はそこそこできた。スポーツもクラスで上位にいた。

野球部のキャプテンもやっていた。

 

でも、ひととの交流というか、そういった面ではさんざんだった。

 

学級委員も、キャプテンも、やりたくてやってはいなかった。

 

求められるものをこなし続けてきた人生。

そして、上手くやって褒められてもすなおに喜べない人生。

 

完璧主義者?

 

そうかもしれない。

 

ただし、現在は完璧にできないものから逃げ続けている。

 

そして、自己嫌悪。

 

もう自分は生きている価値がないと思ってしまう。

 

今は、必死でその選択を選ばないように言い聞かせている。

 

 

もしかして

 

 

自分が思っているより、やばい・・・のか?

 

 

でも、こういったことを久々に考えた気がする。

 

さて、寝るか