ツイッターとかのすごいところはタイトルを考える必要がないところ
さて、約二か月ぶりくらいに書く気になって書いております。
誰が言っていたか、ネットで読んだのか、もう覚えていないですが、その通りだと思う。
というのも、今書こうとして、タイトルを書くときにちょっと躊躇したからですね。
最初に思ったことは「二か月ぶりに書いてみます」
うん、他の人はわけがわからない。後から自分が読んでもきっとわからない。
でもまあ、しょうがないよね。
だって書くこと決めないで書いてるから。
最初にタイトルが決まるわけない。
っと書いて、今思いついた。
タイトルを最後に入力するようにしたらどうだろう?
なんかもう、いろいろ書きたいことを書いてから、最後にタイトルの入力欄が出てくる。
そして、アップされるときは通常通りにタイトルが頭でアップされる。
うん、良いかもしれない。
タイトル欄が最初にある時点で、入力するにせよ、しないにせよ、タイトルというものに思考が引っ張られてしまうから。
うん?まてよ、それならそれでタイトルいらないんじゃないか?
いやまて、こんな長文、いきなり読み出すのか?
うん、まあそれもよいだろう。
でも、他の人が書いたタイトルなしの長文なんて、多分読まないだろうな。
読み始めてしまえば内容によっては読むと思うけど。
タイトルというのは多くの人に伝えるのには大事な役割をしていると思う。
でも、そちらが主になってしまってはいけないわけで、
思考が引っ張られてしまっていはいけないわけで、
ということで、タイトルを最後にかけばいい・・・というのを思いついた。
いやまて、それは完全に自分がいきあたりばったりの性格だからじゃないか?
「タイトルがないと文章なんて書けないよ」
「タイトルを決めずに書くのはただの散文であって、人様に読ませるようなものではない」
そんな人もいるでしょう。
うん、確かにそうだ。
この文章はブログとして誰でも読める場所に置いてはあるけれども、
基本的には日記みたいに書きたいことを書いてある。
ということでタイトルなんていらないっていう気になったのだろう。
うん、きっとそうだ。
ということで、なんか満足したので、ここで終わります。
あ、そうだ、タイトルを最後に考えてみよう。
と思ったけど、最初にとりあえず入れてしまったタイトルがしっくりくると自分でも思う。
なんだ、結局タイトルに引っ張られてるじゃーん