真夜中の失踪に聡明と音楽
amazon musicで今聞いている。
なんかタイトルに惹かれて。
新しいもの聞きたくて。
失踪ではなく疾走感のある歌だ。
タイトルとジャケットと、たまたま目に入ったものを聞いてみたら情熱に溢れた歌だった。
録音してるとき楽しかっただろうな・・・とか
初めて自分のCDが店に並んで感動したんだろうな・・・とか
なんか映画を見て主人公に感情移入してる感じ。
そして、「自分もこんなタイトル考えてみたいなー」
と思って考えてみた。
このタイトルの何に惹かれたか?
それはひとえに「聡明」の異質さである。
「真夜中の失踪」うん普通だ。だいたい夜逃げや失踪は夜中にこっそりと決まっている。
「音楽」も別に普通だ。身近にあるものだし、
失踪みたいなドラマチックなシーンに音楽があるのも納得できる。
そこにきての「聡明」である。
この言葉だけが脳の奥をたたくのだ。
「おい、なんかここにあるぞ」
と。
「聡明」ならお決まりのように真夜中に失踪する事態になんてならないと思うし、音楽ときたら情熱だけで売れないバンドマンと相場が決まっている。
クラシックをやっている人なら「聡明」と「音楽」の間にこのような異質さは感じないのだろうか?
クラシックで飯が食えているレベルの人と話せる機会があればぜひ聞いてみたいと思う。
要は想像外に異質な言葉がくれば、「はっ」としてそこに魅力を感じるのだ。
ただし、意味がまったく通じなくはない程度に。
たとえばこのタイトルが
「真夜中の失踪に愚かな音楽」
だと途端にダサくなってしまう。
「真夜中の失踪に賢い音楽」
「聡明」と似た意味だが、なにか普通に流してしまう。
するっと読み流せてしまうのだ。
「聡明」が絶妙な異質さなのだ。
ここに「聡明」という言葉を選べることが、彼らの個性であり才能なのだ。
そんな才能と同じことができると思ってしまった
自分の傲慢さに今文章を書いていて気付いた。
ただ、せっかく考えたのでそのまま恥をさらしてしまおうと思う。
「気にせず書きまくるブログ」だし。
と、今まさに書こうとしたところで
肝心な言葉を忘れてしまった。
メモっておけよ自分。
「〇〇と真昼のレクイエム」
ってところまでは覚えているんだが
「明日の希望に真昼のレクイエム」
・・・なんとなく近い気がする。
他に思い出せなければこれにしよう。
・・・
「悲しみの向こうに真昼のレクイエム」
・・・
うん、無理だ。
残念。
降りてきたと・・・思ったんだけどな・・・。