気にせず書きまくるブログ

40代独身。人生に行き詰った男が、いろんなことを気にせずにとにかく思ったことを書きまくります。アクセスを集めるには?とか、読みやすいブログにするには?とかいろいろ考えながら書いてみた時期もありましたが、すぐに続かなくなりました。なのでそういうことを考えず、とりあえず書きたいことを書いてみるとどうなるかな・・・という実験です。

最近特に思う。

 

まだまだ、自分はできるって思ってるって。

 

自分は優秀だって。

 

承認欲求。

 

そう思っているにもかかわらず、現状は違う。

 

だから、なにもしない。

 

やる気もでない。

 

「どうせやってもだめだから」

 

まだまだ、評価を外に置いている。

 

そんなの気にせず、自分がやりたいことを

 

ただできるように

 

風と生きるように

 

自分を認めるように

 

なりたい。

 

思ったよりも、闇は深いなーと思いつつ、

 

でもね、この前

 

久々に、自分から誘えたんだ。

 

もう夜中の2時半だ

 

さあ、寝るんだ

自分を認めるんだ

一ヶ月くらいすると書きたくなるのかなぁ

 

開け放した窓から見える、風になびく布団。

 

ディスプレイチェックのような淡い濃淡のグレーの空。

 

ドア越しに聞こえる、新しい生活を探している声、隣の空き部屋。

 

朝起きて、「今日は浅草寺に行こう」と思ったけど

 

なんかだらだらしてしまい、今この文章を書いている。

 

そういえば、頼まれてた事をやんなきゃいけないんだよなーとか

 

アマゾンで買ったスキャナー開けてないなーとか。

 

古本溜まったから処分しないとなーとか。

 

とか、とか。

 

さて、今日は違う方に思考が行く。

 

こういうふうにうだうだしてないで、ちょっと希望をもって書いてみようと。

 

綺麗な部屋、差し込む光、自由に伸びるからだ。

 

すっきりした頭、やる気のあるココロ。

 

日々、進んでいくプロジェクト。

 

アクセス解析の数字は増え続け、仕事は週3日に減らす。

 

思い立った日に旅行に行けて、その場で宿を決める。

 

それに向けて動くことは自由。

 

結果はわからないけれど

 

目指すことは自由。

 

結果なんてしょせん運だ。

 

やってみなけりゃ損だ。

 

心のブレーキ、外すんだ。

 

できない自分、認めんだ。

 

 

生きる希望ってどこからくるのだろう

なんかもう、だめだなーって思う。

 

夜中の0時、この時間からコンビニ行って

カップ麺買って、酎ハイ買って、そしてサッカーの試合を見ている。

 

マジョルカに移籍した、久保建英

彼が出ないとわかってもだらだらと見続けている。

 

思えば、今日一日、こんな感じだ。

 

食べて、ゲームして、酒飲んで、動画見て。

 

積みあがっていかない。

 

うすうす感づいてはいる。

自分で何かを成し遂げることでしか

この閉塞感を解決できないこと。

 

でも、心が動かない。

ついつい、楽な方に動く。

 

何かをやろうかなと思った瞬間

呪いのようにブレーキがかかる。

 

そして楽な方に行く。

 

もう何年も、その繰り返し。

そうしている間に、どんどん年を取っていく。

 

未来の可能性はどんどん狭まっていく。

と、思ってしまっている。

 

人生リセットさせてくれよって

思ってる自分がいる。

 

もしくは、終われせてくれよって。

 

でもまあ、自分から死ぬほどあきらめきれていないのと

死ぬ勇気がないので、ずるずる続けていく。

 

良くなる希望がないわけではないけど。

 

まあ、こうして、文章かけているわけだし。

 

ということでまあ、明日も仕事に行きますよ。

 

なんとか日々、生きてまいります。

 

 

迷ったときはやらない「慎重さ」を持つ自分の決断基準

迷ったときはやらないことにしている。

 

それが自分に合っているからだ。

 

ストレングスファインダーというテストがある。

アメリカのギャラップ社というところが行っている

自分の強みを教えてくれるものだ。

CliftonStrengths | Gallup

 

人の思考のパターンを34種類に分類し、

自分がどういった資質を持っているかを出してくれる。

 

自分はその中でも「慎重さ」という資質を持っている。

 

「慎重さ」とはその名の通り、何をやるにも準備周到、情報を集めてから実行する。

そのため、失敗しないで実行できる。

物事を上手く運べる資質だ。

 

ただし、その分動き出すのに時間がかかる。

または時間内に「やれない」

 

はっきり言って、流行りじゃない。

 

今の時代、とにかく早く。

試行錯誤をたくさん。

環境の変化が速すぎて、何が上手くいくかわからないから

迷ったらとにかくやってみる、そして修正。

それがトレンド。

そんな時代だから、自分と同じ「慎重さ」を持っている人たちは

「慎重だからやれないんだよね・・・」

と自分にネガティブ評価をしてしまう人が多かった。

 

 

自分もそうだった。

世の中では「とにかくやってみろ」であふれている。

だから、そうしないといけないと思ってしまっていた。

 

しばらく前まで、無理してそうしようとしていた。

 

心の底では「ちょっとな」とか思っていても

とにかくやってみる。

 

上手くいくこともある。

でも「やっぱり」ということも多かった。

上手くいったものも、続けていくうちに

「違うな」というものに代わっていった。

 

 

だから、思い切ってやめてみた。

ちょっとでも迷ったものはやらないことにした。

 

 

「慎重さ」だから「やれない」

ではなく

「慎重さ」だから「やらない」

に変わった。

 

 

途端に心が楽になった。

 

 

 

やりたくないものはやらなくていい。

自分の「慎重さ」という長所を信じる。

 

つまりは自分を信じる。

 

その決断ができるようになって

人生、楽しくなり始めている。

 

これからの自分のテーマは

「やらない」という決断だ。

 

 

世界に一つだけの花は眺める方の資質を試す

  

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花

 

 

世界に一つだけの花」を聞いている。

 

同じ花なんてない。みんな違う花なんだ。

比べなくていい 自分が咲くことに一生懸命になればいい。

 

いい歌だとは思いつつ、ずっと違和感を感じ続けている。

 

この歌は、個性的であれと求められ、でも周りのみんなとは違う何かを見つけられずに

もがいている人たちへの救済だ。

 

「もともとみんな違うんだから、そのままでいいんだよ」

 

そう優しく語り掛ける。

 

聞くと救われる。

 

自分もそういう一人だ。

 

でも

 

救われつつも、残酷な現実に直面させられる。

 

「じゃあ自分は、それぞれの花を世界に一つのものとして見られているか」

 

と。

 

道行く道で咲いている花に

 

一つ一つ、想いを馳せられるか

 

「あーきれいだな」

 

と、ひとまとめの景色としてしまっていないか。

 

世界に一つだけの花になるためには

 

そう認識してくれる人が必要だ。

 

槇原敬之さんはきっと

 

そういう風に人を見れる人だ。

 

さて、自分はどうだろう。

 

他の人をそういう風に見れるだろうか。

 

いや、そもそも自分を

 

そんな風に見れているだろうか

 

この歌を聞くたびに、そんな思いが頭をよぎる。

 

世界に一つだけの花には

 

そう眺められる人が必要なのだ

真夜中の失踪に聡明と音楽

 

真夜中の失踪に聡明と音楽

真夜中の失踪に聡明と音楽

 

 amazon musicで今聞いている。

なんかタイトルに惹かれて。

新しいもの聞きたくて。

 

失踪ではなく疾走感のある歌だ。

 

タイトルとジャケットと、たまたま目に入ったものを聞いてみたら情熱に溢れた歌だった。

 

録音してるとき楽しかっただろうな・・・とか

初めて自分のCDが店に並んで感動したんだろうな・・・とか

 

なんか映画を見て主人公に感情移入してる感じ。

 

そして、「自分もこんなタイトル考えてみたいなー」

と思って考えてみた。

 

このタイトルの何に惹かれたか?

それはひとえに「聡明」の異質さである。

 

「真夜中の失踪」うん普通だ。だいたい夜逃げや失踪は夜中にこっそりと決まっている。

 

「音楽」も別に普通だ。身近にあるものだし、

失踪みたいなドラマチックなシーンに音楽があるのも納得できる。

 

そこにきての「聡明」である。

 

この言葉だけが脳の奥をたたくのだ。

「おい、なんかここにあるぞ」

と。

 

「聡明」ならお決まりのように真夜中に失踪する事態になんてならないと思うし、音楽ときたら情熱だけで売れないバンドマンと相場が決まっている。

 

クラシックをやっている人なら「聡明」と「音楽」の間にこのような異質さは感じないのだろうか?

クラシックで飯が食えているレベルの人と話せる機会があればぜひ聞いてみたいと思う。

 

要は想像外に異質な言葉がくれば、「はっ」としてそこに魅力を感じるのだ。

ただし、意味がまったく通じなくはない程度に。

 

たとえばこのタイトルが

「真夜中の失踪に愚かな音楽」

だと途端にダサくなってしまう。

 

「真夜中の失踪に賢い音楽」

「聡明」と似た意味だが、なにか普通に流してしまう。

するっと読み流せてしまうのだ。

「聡明」が絶妙な異質さなのだ。

 

ここに「聡明」という言葉を選べることが、彼らの個性であり才能なのだ。

 

そんな才能と同じことができると思ってしまった

自分の傲慢さに今文章を書いていて気付いた。

 

ただ、せっかく考えたのでそのまま恥をさらしてしまおうと思う。

「気にせず書きまくるブログ」だし。

 

 

と、今まさに書こうとしたところで

肝心な言葉を忘れてしまった。

 

メモっておけよ自分。

 

「〇〇と真昼のレクイエム」

 

ってところまでは覚えているんだが

 

「明日の希望に真昼のレクイエム」

・・・なんとなく近い気がする。

他に思い出せなければこれにしよう。

 

・・・

 

「悲しみの向こうに真昼のレクイエム」

 

・・・

 

うん、無理だ。

 

残念。

 

降りてきたと・・・思ったんだけどな・・・。

 

 

 

 

 

最近思いついたメモ。長期的な視点で個人的にブレイクすると思われるものとか。

歴史は繰り返す。

 

時代にあったものがヒットする。

 

思えば今のヒット商品も、同じコンセプトを持ちながら、早すぎるがゆえに消えていった者たちが多数ありました。

 

例えばスマホ

PDAというタッチペン付きの端末がかつてありましたが、独自規格だったり、動作が重かったりで、いつのまにか消えていました。

 

例えばAI。

パソコンが登場した時期に、「どらえもんが現実に」などともてはやされましたが、

実際には全然使えない、単純な分岐判断をしたりといったものでした。

 

例えばVR

バーチャルボーイに始まり、3Dを経て、VRになってやっと日の目を見ている気がします。

 

もう一つ上げるなら、3Dプリンター。

登場初期は夢の機械と思われましたが、精度だったり価格だったり、いつのまにか注目されていませんでしたが、最近はとても注目されている気がしています。

金属が作れるようになり、ネジなどの部品が作れるようになったり、

巨大なプリンターで家が建ってしまったり、あらゆるものがオーダーメイドされる日がくるかもしれません。

 

 

ということで、一旦は先進的過ぎて日の目が見なかったものが

技術の進歩により、大ブレイクする。

そんな視点から考える、次にブレイクするもの。

 

※完全に個人的な妄想です。

 

グー〇ルグラス的なAR端末。

 

登場当初は、スマホの次として非常に期待されていましたが、いつのまにか消えていた眼鏡型のウェアラブル端末。

はっきり覚えていないのですが、録画機能を付けたさいにプライバシーが問題になったり、といったところが結構問題になっていたと思います。

では、そこをどう解決するか。

5G+youtubeだと思います。

 

まずはyoutubeの技術。
アップされた映像や音楽を解析し著作物か判断し、アップ者と著作権者双方を仲介して、双方に利益をもたらす。

この技術と5Gによる高速通信が加われば、リアルタイムで著作物かどうかを判別し、モザイクをかける、録画を中止する、などの対策がとれるようになります。

 

スマホの次はウェアラブルと呼ばれていますが、本質的には「カメラ(スマホ)を構える手間」の消滅が次のブレイクスルーになるのではないでしょうか。

 

この景色は素晴らしいと思った瞬間、撮影ができている。

そして、それを著作権とか気にすることなくその場でシェアできる。

 

最近のカメラは色々な機能がついて綺麗な写真がとれますが、

それは一眼レフ+職人でできていたことができるようになったことで、

改善であり、ブレイクスルーではありません。

 

ということで、次の大ブレイクはグー〇ルグラスではないかなーと勝手に思っています。

 

さて、著作物かどうかをリアルタイムで判別できるようになると何がおきるか。

ここから先は、とある小説で書かれていたネタを書きたいと思います。

まあ、現在はSFレベルで実現はしそうにないお話ではありますが。

その小説とは

 

ハロー・ワールド

ハロー・ワールド

 

 この小説の中で、主人公は独自の仮想通貨を作ります。

 

そして、その通貨には自動で課税されるスマートコントラクト(自動処理プログラム)が仕組まれます。

 

つまり、その通貨を使って経済活動をすると、その量に応じて自動的に課税分が受け取る主体(小説では主に国家)に支払われるように設定されています。

そして、受け取る国家はその通貨を認め、受け取り手続きをするとその国家分の税金を受け取れるようになります。

その国家が受け取り手続きをしない場合、その国家が受け取るべき税金はプールされ続けるようになります。

 

さて、これを先ほどのウェアラブルでリアルタイムに著作権処理と組み合わせると次のようになります。

 

ウェアラブルで録画された映像でリアルタイムに著作物が処理され、その著作物に関する著作権料が自動的に個別にプールされます。

そして、自分の著作物をその管理主体に登録すると、プールされていた著作権料を受け取ることができる。

 

具体的な例としては、例えば自分の顔を登録しておくと、街で撮影された動画に偶然自分が映り込んでしまった場合でも、その動画で収入が発生した場合、その収入の一定比率を自分が受け取れるようになるというもの。

もちろん、人の顔以外でも、キャラクターや看板、建物などでも同様のです。

 

そして、その処理はブロックチェーン技術を使い、スマートコントラクトで自動的に処理される。

 

そうするとどうなるか?

 

何も考えずに好きなことをしているだけで生きられる人が出てくる。

 

現在、youtuberやブロガーなど、一見好きなことをして自由に生きている人は、映像を撮影、編集したり、記事を書いたりといったことを大量に素早くこなせる、または苦にしない人たちです。(もしくはそれをしてくれる人が周りにいる)

 

現在、youtuberやブロガーの人たちはある程度そういったことに労力をかけられる人たちが収入を得られる仕組みになっていますが、その敷居がどんどん下がることで、

そういった手間が嫌いなひとや労力を割けない人も収入を得る可能性がでてきます。

 

つまりは、もっともっと生き方そのものが生活の糧になる。

 

そんな時代が来るのではないかと。

人類、総芸能人化。

 

ちょっと、そんな夢物語を思ってしまったりしました。